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時間差でじわじわとくる『リップヴァンウィンクルの花嫁』 その世界観と謎について考える

 

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岩井俊二監督の新作『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観ました。

岩井監督の長編映画では12年前の『花とアリス』以来の新作。個人的には監督の作品を映画館で観たのは「四月物語」以来です。ひとつのきっかけや思いからひとりの女性が成長していくという大筋は『花とアリス』も『四月物語』も今回も同じプロット。しかし『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観終ったあとに感じるのはおとぎの国から抜け出たような感覚と「あれはどういう意味なのだろう」という疑問です。観終ってからずっと考え続けています。

 

「映画とはコミュニケーションなんだ」とどこかの映画監督がラジオで話してました。観客にすべての回答を与えるような映画は観客を馬鹿にしている。いい映画には説明されない余白がある。それが物語としての深みになるんだと。

 

リップヴァンウィンクルの花嫁では暗喩的な謎の種があちらこちらに撒かれています。

今回はそれを考えてみたいと思います。

 

※ネタバレするのでまっさらな状態で映画観たい人は読まないでください

 

リップヴァンウィンクルとは何か】

リップ・ヴァン・ウィンクルとはアメリカ英語では「時代遅れの人」「眠ってばかりいる人」の慣用句になっている言葉です。同名の19世紀のアメリカの短編小説が元になっています。以下、wikipediaからの引用です。

アメリカ独立戦争から間もない時代。呑気者の木樵リップ・ヴァン・ウィンクルは口やかましい妻にいつもガミガミ怒鳴られながらも、周りのハドソン川キャッツキル山地の自然を愛していた。ある日、愛犬と共に猟へと出て行くが、深い森の奥の方に入り込んでしまった。すると、リップの名を呼ぶ声が聞こえてきた。彼の名を呼んでいたのは、見知らぬ年老いた男であった。その男についていくと、山奥の広場のような場所にたどり着いた。そこでは、不思議な男たちが九柱戯ボウリングの原型のような玉転がしの遊び)に興じていた。ウィンクルは彼らにまじって愉快に酒盛りするが、酔っ払ってぐっすり眠り込んでしまう。ウィンクルが目覚めると、町の様子はすっかり変っており、親友はみな年を取ってしまい、アメリカは独立していた。そして妻は既に死去しており、恐妻から解放されたことを知る。彼が一眠りしているうちに世間では20年もの年が過ぎ去ってしまった。

 

この聞き慣れないタイトルは、時間軸の違う世界がふたつ存在しているということを示していると考えます。 ふたつの世界を行ったり来たり冥界めぐりをするのがこの物語です。ふたつの世界とは「従来の価値観に支えられたリアルの世界」と「自分の価値観に支えられた幻想の世界」です。

 

【誰かに用意されたような幸せから、突如転落する】

派遣教師をしている主人公の七海はSNSで出会った男性と付き合います。こんな感じで簡単に結婚してしまっていいのかなと思いながらも何となく結婚します。きっちりとした結納を済ませ、結婚式の準備をはじめる。しかし親戚づきあいもない七海は呼ぶ親戚がいません。旦那には体裁が悪いから何とかならないかと言われます。

そのつぶやきをSNSにしたところ、偽装の親戚を用意するサービスがあるというリプライが送られてきます。そこで出会ったのが綾野剛演じる安室行舛です。安室の手配でふたりは体裁を保つことができ、豪華な結婚式を挙げます。絵に描いたような夫婦生活がはじまりますが、突如、梯子を外されたように転落します。

ある日ひとりの男が家を訪ねてきます。旦那は浮気をしていて自分はその浮気相手の彼氏だという。七海はそれをネタにされて脅されます。

そこで七海がピンチになります。そこで七海が助けを求めるのが何でも屋の安室行舛。

安室はすぐにホテルに来て七海を助けてくれます。

そこで一件落着したようにみえますが、それははじまりの合図でした。

法事の終わりに義理のお母さんに呼ばれます。そこで両親は離婚していること、結婚式に呼んだ親戚は偽装だったことを問い詰められる。そしてホテルで脅されたときの音声と画像を見せられます。「どういうことなの?」と詰め寄られ、七海は誤解であることを訴えますが、弁解の材料が足りません。「すみません、つい、うっかり」と鳴きながら弁解します。「あなたが不気味で気持ち悪くて仕方ない、出ていきなさい」と言われ、七海は結局荷物を抱えて出ていきます。

これは価値観が違うと分かり合うことはできないという暗喩ではないかと考えます。いくら説明して分かり合おうとしても分かり合えない関係の人間はいるということを示している。それはまさに世代間の分断であり、価値観の相違は埋められない。

七海は出ていきますが行くところはありません。荷物を抱えて東京を歩き続けます。

 

今まで堅牢だと思われていた価値観が実はもうまったく機能しておらず、固いはずだった地面は実は穴ぼこだらけでうっかり足を踏み外したら転げ落ちてしまうようなつくりだった。家族の在り方だったり、職業観だったり、従来の支配的な価値は表向きだけの張りぼてになっていた。結婚披露宴で繰り広げられるうさん臭さはそれを示すものと考えます。

旧来大事にされていた価値は表向きを取り繕うことしかできていない。内実はすかすかの状態だった。固いと思っていた地面が一瞬にして歪んでしまった震災と原発の問題が重ね合わされていると考えます。

 

ノルウェイの森と冥界めぐりの物語】

行く場所のない、途方にくれた七海は何でも屋の安室に連絡します。「今どこですか」と安室に聞かれるのですが七海は自分がいまどこにいるのかわかりません。「どこだろう、自分がどこにいるのかわかりません」と言います。

このシーンでイメージされるのが村上春樹ノルウェイの森のラストシーンです。ノルウェイの森は死者の世界と生きるものの世界を行ったり来たりする冥界めぐりの話です。

このリップヴァンウィンクルの花嫁の世界も、真白のいる死者の世界(自己を拡大した価値観の世界)と生きている者の世界(従来の価値観に支配された世界)のふたつがあります。死者の世界は曇りで白い靄がかかっていて、生きる者の世界は光が射してそよ風の吹く現実の世界です。対比されたふたつの世界を行き来する。どこにいるのかがわからないのはその中間にいるからです。

 

【登場人物には名前が複数ある】

登場人物にはいくつかの名前があります。綾野剛演じる安室行舛には市川Raizoという俳優名も持っています。七海もクラムボンというアカウント名があり、旦那にアカウント名がばれてからはカムパネルラという名前に変えます。クラムボン宮沢賢治の「やまなし」という童話に出てくる謎の記号です。カンパネルラは銀河鉄道の夜でジョバンニと旅をしますが、カンパネルラにとっては銀河鉄道の旅は死にゆく旅路です。ちなみに『打ち上げ花火、上から見るか、下から見るか』での実験室でのシーンは銀河鉄道の夜をイメージしたシーンらしいです。

謎なのはSNSできっかけを与えてくれるランバラル。一体誰なのでしょうか。wikipediaではランバ・ラルガンダムアムロ・レイの精神的な父親の存在であると書かれています。

主人公のアムロ・レイに人間的成長のきっかけを与えた人物であり、パイロットとしての技量ばかりでなく、人間的な器量の大きさからアムロをして「あの人に勝ちたい」と言わしめた。監督である富野由悠季は、ランバ・ラルについて「精神的に父親不在だったアムロに対する、父親役としての存在であった」と後に語っている。

人間的な成長のきっかけを与えてくれる存在、それがランバラルです。作中、七海はランバラルさんは女性だと思っていましたと話すシーンがあります。ランバラルはおそらく女性です。偽装結婚式にバイトで出席した七海はCocco演じる真白と最初に目が合うので、おそらくはランバラルは真白です。真白はクラムボンのときから知っていて友達になりたいと思っていた。そして真白もまたリップヴァンウインクルという別名のアカウントを持っています。

名前は世界を行ったり来たりするための記号のようなもの。戒名というものもあります。現実の世界では真白であり、ネット上ではリップヴァンウィンクルであり、ランバラルです。仕事上の名前は明らかにされません。名前のない仕事をしているのです。真白は現実の世界と自分の価値観の世界の境目がみえなくなってきて混乱しています。心の拠り所を求めている。七海も誰かに頼られることを求めていた。双方の意向が合致してふたりの幻想的な生活がはじまります。

皆川七海という名前、みんなと同じ川を渡り、七つの海を渡るという意味ではないかと考えます。安室行舛は「アムロ、行きまーす」であってその役割のみで存在しています。安室は一時期にドコモのCMに出ていた携帯コンシェルジュ渡辺謙を思い起こさせる機械のような存在です。必要なときにのみ登場する。真白は文字通り真っ白な存在。何もないので誰かに頼りたい、頼られることで自分の存在を確認したい。頼られるために手っ取り早いのがお金です。真っ白は目的のためにお金に頼ります。最初に出てくるキャバで働く大学の友達もその象徴と考えます。

 

 【七海が酒をぐびっと飲むシーンははじまりの合図】

酒が強くなさそうな七海が酒をぐびっと飲む印象的なシーンがあります。

一回目は法事に出たとき、二回目は真白のお母さんを訪ねた場面です。

一回目の親戚の法事でぐびっと酒を飲んだシーンのあと、七海は義母に呼ばれて人生が暗転します。二回目、真白のお母さんを訪ねたところでみんなで裸になるところで七海はぐびっと酒を飲みます。そのあと七海は現実の世界に戻ります。

村上春樹ノルウェイの森ではセックスが世界を行き来する合図でした。死者の世界を出入りするためには儀式が必要です。この酒をぐびっと飲むシーンはその合図ではないかと思います。身を清める意味と考えます。真白には紀代美という偽家族上の偽名もありますが、彼女はいつも酒を飲んでいます。現実世界に戻りたいので酒を飲み続けますが彼女は現実の世界に戻りたくてももう戻れません。身を清めてももう戻れないのです。

 

【どちらの世界にも接続できるネットの関係性とささやかな希望】

最初から最後まで七海がずっと続けていることがネットでの家庭教師です。

世界が暗転して七海はネットで続けていた家庭教師をやめようとしますが、不登校の生徒「オカモトさん」は七海を必要とします。オカモトさんにとっては七海は現実世界とつながる碇のような存在なのです。リップヴァンウィンクルの館でも放浪で行きついた旅館でも七海はオカモトさんの家庭教師を続けます。死者の世界でも現実世界でもどちらからもアクセスができて確かな名前があるのがオカモトさんであり、世界で唯一ある確かなつながりがオカモトさんです。終盤で東京に行こうかなとオカモトさんは言います。七海も東京においでよ、案内してあげるよと返す。七海もまたオカモトさんを必要としているのです。

 

一度観ただけですが、リップヴァンウィンクルの花嫁の世界は構造的には冥界めぐりであり、価値観の崩れた世界でどう生きるかという人たちの話であるという印象を持ちました。

 出ている人みんなすごい芝居をするし、岩井監督独特の画が素晴らしくて、世界にどっっぷり浸かりました。練られた物語って本当にすごい。観た人と意味について語りたくなる映画です。

 

いまGYAOリップヴァンウィンクルの花嫁serial editionが特別配信されているみたいです。まだ第一話しか観てないですが、映画では出てこないシーンが出てきてびっくり。この世界はまだまだ深そうです。 

special.streaming.yahoo.co.jp