絶食と点滴。入院中の4冊
自分は補聴器の外勤をやっているのだけれど、営業や販売というのはバイオリズムのような引き合いの波があるなと思う。暇なときにはずっと暇。でも忙しいときにはどっと重なる。波の大きさはその時々で違うのだけれど、人間が何かを必要としたり欲しいと思う時期はたぶんどこか似てくるのだ。潜在的な意識なのか季節なのかはわからないけど。
ここ最近はお盆前くらいまではのんびりと仕事をしていたが、その後8月下旬頃から少しずつ訪問の依頼が増えてきていた。上向きの波がきているなとは思っていたが、8月末の催事がきつかった。爆発した。対応する人間は俺しかいないのに、次から次へとやってきて小便に行く暇もない。データの整理や納品の準備なども重なった。必死で来る球を打ち返す。打ち返してもまたボールが飛んでくる、走る人間は他にいないので俺が走るしかないという状況で手一杯になっていた。
そういう中での地震と停電。自分とすればケガをしたわけでもなく、家が壊れたわけでもなく、ただ電気が1-2日来なかったというだけのことで、むしろ電気のない非日常の経験は貴重だなくらいに思っていた。ただ今回の停電の間に訪問できなかった案件は後からまた行かなくてはならない。それをこなしている間にもまた案件が増えていく。いっぱいの状態。体の不調は感じていなかったが、気持ちが追い付いていなかったことは確かだ。地震と停電もどこかで自分の体の不調とつながっていたのかもしれない。
シルバーウィークの連休初日から急に腹が痛くなった。病院に行って抗生剤をもらったが、一日二日経ってもぜんぜんおさまる気配がない。むしろ悪くなっているような気さえする。日曜日の夜中、耐えきれず夜間救急に駆け込んだ。腸炎と診断されて速攻で入院である。
腸炎なのでまず炎症を抑えなくてはならないのだが、大切なことは安静にすることだ。つまり炎症が治まるのを待つしかない。処方箋は絶食と点滴になる。感染性かもしれないので炎症が治まって検査の結果が出るまでは部屋を出ないようにと看護師さんに言われた。
何時間かに一度看護師さんが点滴を取り換えにやってくる。日勤と夜勤の看護師さんのローテーションだ。看護師さんとは長い会話を交わすことはまずなかったけども、話す人がいない生活の中では二三言葉を交わすだけでも日々のアクセントになった。
それでもぶすっとしたおばさん看護師さんと、表情が柔らかくて笑顔が素敵な看護師さんとでは全然違う。感じのよい看護師さんが去ってから、いやー笑顔すてきすぎるわ最高だーと思って、少しの時間を振り返っているだけでも世界は明るくなるし幸せに包まれる。ちょっとしたことに対するリアクションの積み重ねが幸せな人生なのだと思う。人間、単純な方が愉しく過ごせるのかもしれない。
いずれにしても看護師さん以外は誰も来ないし部屋をむやみに出ることもできないので本を読むしかない。看護師さんにTVはネットフリックス観られるので映画とかドラマとか観たらいいのにと言われたが、何故か今回はTVみたり映画を観ようという気持ちにはなれなかった。読んだり見たりすることは集中力を必要とするので今回は本を読むこと集中しようと思った。
今回の入院のお供は以下の4冊。
・小松理虔著「新復興論」
・山口周著「劣化するオッサン社会の処方箋 なぜ一流は三流に牛耳られるのか」
・三浦英之著「五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後」
・服部文祥著「サバイバル登山家」
せっかくの時間なのでこれまで読めていなかった古典や文豪の小説も入れたかったのだけども、小松さんの新復興論が400ページ、三浦記者の五色の虹が300ページとけっこうな分量があった。そしてその2冊はこの機会にどうしても読み切りかったので小説は取りやめた。
今回読んだ4冊の本はそれぞれまったく違うジャンル、カテゴリの本なのだけれど、どれも性根にまっすぐ向かってくるような気持ちの良い本だった。ためになったし何よりも面白い。読書とは何かを知るための手段にすぎないけれど、自分が触れたことのない、接したことのない世界があって、その世界は自分と地続きなのだと思わせてくれる本はとても貴重だと思う。それぞれのレビューについてはまた改めて紹介。