縁がわでビール

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踏み込んで打てとロッキーは言った

 

ロッキーが公開になったのは1976年。自分は1978年生まれなのでロッキーからロッキーザファイナルまでロッキーと同じ時代を生きてきたと言っても過言ではない。今回の「クリード チャンプを継ぐ男」はそのロッキーシリーズの新章ということで、年末に観てきた感想の忘備録。4/20にDVDが出るらしい。出るの早い!

 

wwws.warnerbros.co.jp

 

【最後までリングに立っているということ】

ロッキーシリーズ最高傑作と言えるのがロッキーザファイナル。1作目のロッキーのストーリーのシンプルさを継承しながら、シリーズで重層化された物語を存分に生かしております。観ている誰もがロッキーを応援し、立つんだロッキーと思い、同時に自分を奮い立たせる。映画を観に行く意味がここにあると思わせる作品。

 

movies.foxjapan.com

 

この映画はロッキーが勝っていないというのがすごくいい。クラシック的なロッキーの世界(ロッキー、ロッキーザファイナイル)においては最終的にロッキーは勝っていない。ロッキーの世界における勝利とは最後までリングに立っているということ。観客(映画を観ている人も含めて)は勝敗とは何かということを突き付けられる。

 

つまり、結果的な勝ち負けは個人の人生にとって最も大きな価値ではない。最も重要なのは最後までリングに立っていたのか、最後まで戦い続けたのかどうか、その一点。観客は予定調和に安堵しながらも自分の人生を重ね合わせ、自分は最後まで戦うべきだという思いを新たにする。それがロッキーを観る意味なのだと思う。

 

【ロッキー新章】

翻ってシリーズ新章の「クリード チャンプを継ぐ男」 主人公のアドニスがある日ロッキーのレストランにやってくる。自分はアポロの息子だと告げるところからストーリーが動き出す。トレーナーはやらないと言っていたロッキーも主人公の熱意とアポロへの義理を感じて最終的にロッキーはトレーナーを引き受ける。そして共にチャンプを目指すというストーリー。

伝説のチャンピオンの息子ということもあり、飽和状態のマッチメイクに悩む興行主たちはアドニスに目をつける。ロッキーはチャンスだという。ロッキーも同じ道をたどってきたのだ。

【踏み込んで打てとロッキーは言った】

そしてはじまるチャンピオンとの対戦。実力差がありすぎるという前評判がありながら、アドニスは予想を超えて互角に戦う。これはもしかしたらと思わせるファイトを続ける。一進一退で繊細にラウンドを重ねていくがハードパンチャーのチャンピオンに徐々に押されていく。そして最終ラウンド。このままいけばチャンピオンの勝ちは目に見えている。

アドニスは父親ゆずりの華麗なアウトボクシングをする。しかしロッキーは「踏み込んで打て」と繰り返し言う。最終ラウンド、もうこのままではダメだと観客はわかっている。そこで待ってましたのロッキーのテーマ。ロッキーのテーマがかかるのはこの最後の場面のみ。そこでアドニスがふところに入って「踏み込んで打つ」のだ。

 

この映画では最後の勝敗はあまり意味がなくて、意味があるのはアドニスが踏み込んで打ったかどうか。最後まで戦い続けたかどうか、リングに立っていたかどうか、それがこの映画の意味であり、それはロッキーシリーズが紡いできた魂そのもの。

 

時折、仕事の帰り道なんかにふとロッキーの「踏み込んで打て」の場面を思い出す。

踏み込まないことには何もわからない。踏み込むことでわかる世界の真実がそこにはあるということを思い起こさせる作品。ちなみにクリードのファイトシーンの臨場感はまじで半端なし。今のボクシング映画ってこんなにすげえのかと思わせる映像。

クリードもロッキーも素晴らしいので是非!