縁がわでビール

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人生には避けられない痛みがあるということを痛風に教えられた

痛風は生き地獄】

自分は食べることが大好きで、ビールが何よりも好きなのだが痛風になった。発作は今までに2回なった。足の親指の下が腫れてくる。

最初は足の親指の付け根が何となく痛くて最初はどこかにぶつけたのだと思っていた。そのうちどんどん腫れ上がってくる。ばっこり腫れてきて夜は激痛で眠れなくなった。

骨折したのかもしれないと思って病院に行った。病院で血液検査をすると尿酸値が9.0.これは間違いなく痛風ですねと言われた。通常男性は4.0から7.0の間らしい。。

よく考えると父親も以前痛風で足が痛いと言っていた。お前もビール飲むから付けろとは言われていたが、自分の身に起きるとは。。Drには10日くらいで収まるので痛み止めを飲んで安静にするように言われた。

 

【風が吹くように痛い】

痛風はとにかく痛い。痛いけど10日間も仕事を休むわけにはいかない。痛みに耐えながらアクセルを踏み、足を引きずりなががらマンションの階段を上がった。

痛み止めにボルタレンをもらったが、痛み止めを飲んでも痛い。何をするにも足が痛い。痛いから足のことしか考えられない。足に向かって馬鹿野郎と叫びたくなるし、実際に叫んでもいた。

 

発作から一週間ほど経ったある日、痛みが以前よりも和らいでる。やっとおさまったか、これでおしまいだ、よく頑張ったな自分と思っていた。

しかしその晩が自分史上最強の痛みだった。足が今まで以上に大きく腫れあがり痛みで冷や汗が出る。うめき声を上げながら耐える。結局まったく眠れないまま朝を迎えた。朝になると多少痛みが和らいでいた。風が強く吹いたり穏やかになったりするように、痛みがひどくなったり和らいだりするから痛風と呼ぶ。もう何も信じられないと思いながらまた数日が過ぎる。Drは通常10日ほどでおさまるのと言っていたので時が過ぎ去ることだけを願う日々。

 

痛風とはなにか】 

痛みで足のことしか考えられないので毎日痛風について検索した。おかげで痛風については詳しくなった。

 

通常人間の血液には尿酸が含まれているのだが、尿酸の値が何らかの原因で上昇すると尿で排出するキャパを超えてしまう。激しい運動や過剰なプリン体摂取、そしてストレスだ。処理しきれなかった尿酸は結晶化して関節に付着する。付着した結晶がはがれ落る。白血球がそれを攻撃してそれが激痛を伴うのだ。結晶は比重が重いために重力にひかれて足に付着しやすくなる。足が痛くなるのはそのせいだ。女子は月経時に尿酸を排出する作用があるようであまりならないらしい。

 

尿酸を高くしてしまう原因はプリン体なのだけれど、プリン体を多く含む食材はビール、カツオ、レバー、干物、魚卵など。納豆もプリン体が多く含まれているらしい。肉も刺身も多く含まれている。つまり旨いものすべてだ。しかしこれらを避けて生きていくのは無理だ。過剰摂取しないようにバランスを考えて生きるしかない。

 

痛風は避けられない、受け入れるのみ】

発作がおさまってから薬をもらいに病院に行った。

Drは「食べ物に気をつけるというのはもちろんなんだけど、これは体質的なものだからそれを受け入れていくしかない。同じものを飲み食いしても痛風になる人とならない人がいるから。でも一度発作が起こったということはこれからも発作が起きる可能性がある。起こるかもしれないということも受け入れていくしかないんだ」と言われた。

人生には避けられない痛みがある、自分はそのことを痛風に教えられてる。それは受け入れるしかない。まるで人生のようだ。痛風

 

 

吃音のはなし

【吃音という苦悩】

今はだいぶなくなったけれど小学校くらいまで吃音がひどかった。それから徐々に発症は少なくなったけれど、今でも体調が悪いときには言葉が出なくてどもるときがある。小学生の時にはどもった話し方をからかわれた。一対一の会話では問題ないのだけれど、今でも複数の人の前で話すということが得意ではない。

 

【コミュニケーションのハードルが上がる】

吃音者はどもりやすい言葉を避けて話すようになるので、自分の意思と言葉の意味に齟齬が生じて、結果自分の伝えたいこととは離れた意味になってしまう。自分の言葉に自信を持てなくなってくるし、誤解されることも出てくる。自分が思っているほど誰も自分に興味を持っていないし、結局そんなことを気にしているのは自分だけなのだと思うのだが、吃音があるおかげで必要以上にコミュニケーションのハードルが高くなってしまった。気が付くと人前で話すことが苦手になっていた。

 

【言葉が出ずに無音状態になる】

20代後半のある日、自分が会議で発表しなければならないことがあった。資料をつくって発表する準備はしていたのだけれど、緊張あって途中でまったく言葉が出なくなってしまった。会議室が無音状態になり、全体の空気が重くなっていくのを感じた。みんな居心地悪くなっているのがわかった。イライラしている人もいた。情けなくて恥ずかしくて悔しくて穴に入りたい気持ちになった。あれから10年近く経つけれど、今でもあの瞬間を思い出すと目をつむりたくなる。

 

【安心な関係性が良薬】

でも気がつくとここ最近はほとんど吃っていないように思う。この2~3年の間にツイッターを通じて新しい知り合いができ、会社と家の往復だった狭い世界が広くみえるようになった。前よりも自分が話したいことについて話す機会も増えた。好きなことについて話すときには不思議とどもることはなかった。以前より自分の考えを率直に伝えられるようになった。会社と家以外で「安心して話していいですよ」という関係が人間には必要なのだと思った。安心が良薬なのだ。

 

【吃音には味方になってくれる人が必要だ】

吃音がひどかったとき、共感してくれて味方になってくれる人がいたらずいぶん違ったと思う。サポートしてくれる人がいたら助けられたと思う。傍からみれば吃音は成長によって解決される些細なことのようにみえるかもしれないけれど、当事者にとって言葉が出ないことは一大事なのだ。

若年時の自信の喪失は生涯年収の違いに直結する。吃音のあるなしで人生には大きな違いが出てくる。

吃音に対する一般的な知識や認識が広まってほしいと切に願う。いまは吃音者をサポートするコミュニティもあるようだ。自分が話したいことを話せるというのは幸せな人生の条件のように思う。

狛江には吃音についての理解を広めて吃音をサポートしてくれる団体が活動しているらしい。こうした取り組みが増えれば増えたらいい。

 

 

営業に向いていない自分が、売り込まないで営業を続ける方法を考えた

【やってみると営業にもいろいろある】

学校を卒業してから今年で14年になるが、ずっと営業の仕事をしている。別に営業の仕事がしたかったわけじゃない。営業は向いていないなと自分で思う。でもやってきた仕事がそれしかないことがあって、業種が変わりながらも結果的に同じ職種の仕事を続けている。

もともと本を読むことが好きだったので、何となく書く仕事がしたいと思っていたのだが、大学4年時に120単位も残っていて就職活動なんてできるわけがない。卒業してから記事を書いたりする仕事に就くなんて無理だ。結局何の取柄もない世間知らずの人間を拾ってくれそうなところはニッチな業界誌。適当な提灯持ちの記事をかいては広告をお願いしにいく仕事。結局は広告営業である。仕事は4年続けたが、自分たちが食べるだけに存在しているような気がしてやるせなくて辞めた。

次の仕事は建材関係のメーカーのルート営業。決められたルートで空気を読みながらお客さんと関係性をつくって受注していく仕事だったのだが、これがまったく自分には不向きだった。学校のクラスみたいで箱の中で空気を読んで適当な会話を転がすということが苦手だったし、何せ数字に弱いこともあって自分に務まる仕事ではなかった。結局は最後はノイローゼのようになって辞めた。

 

次の仕事がいまの補聴器の営業である。高齢化社会における社会的な意義もあるし、第一人に喜んでもらえる仕事だった。自分は仕事を通して必要とされることを求めていたし、BtoCの営業の方が自分には向いているようだった。ただどうにも人に売り込むというのが苦手で2年くらいはまったく売れない。見かねた上司が付きっ切りで指導してくれて仕事に必要な技術もコミュニケーションの仕方も身に着けることができたが、それでもどうにも売り込みが苦手な性分は変わらず、鳴かず飛ばずの状態が続いた。

しかし仕事を続けていくには毎月継続して売り続ける必要がある。それが営業の存在意義だ。売上がないと居心地も悪くなるのだ。

 

【売り込まなくてもいい営業とは何かを考える】

そこで売り込まなくても継続して売上を上げる方法を考えた。

補聴器の平均した寿命は5-6年だ。アフターを継続していけば買い替えにつながるし、満足して使ってくれて人間関係もできてくればそこからの紹介につながる。

まずやってみたのは担当エリアで購入してくれているお客様のリストアップである。最後の接触から半年を空けないように最終訪問日を記録していった。3か月から半年に一度は必ず定期的にアフター訪問をすることにした。

その際には「売り込みにいかないこと」がまず大前提。必要なときにお願いできる中距離の関係を構築することに全力を尽くす。きちんと使えるようにメンテナンスをすること。点検掃除、調整をする。使えていないのであればなぜ使えていないのかを確認する。しばらく聴力を測っていない場合には再測定して合わせなおす。困ったことがあるときには「必ず」連絡をほしいと伝えた。その時によってすぐに来れないときもあるけれど、必ず来るからと伝えた。それを繰り返した。

 

 【アクションがあるとエフェクトがある】

継続して半年程度で変化が出てきた。こちらから売り込みにいかなくても訪問依頼が増えた。紹介の案件も増えてきた。自分としてもリスト化して定期的に管理することで、何となくしかわかっていなかったひとりひとりの顔とその生活がみえてきた。補聴器は生活を楽にするためのツールでありQOLを上げるための道具でしかない。生活がみえていなければよい道具を提案することはできないのだ。

 

 【見える化することでわかること】

アフターを見える化してわかったのは会う回数と購入してくれる確率は比例して上がっていくという事実だ。短期間でも長期間でもBtoCの関係性であれば会う回数に応じて購買率は上がっていく。短期間に何度も呼ばれることが多ければ、道具に問題が出ているということを表す。そこではじめて問題を改善するための方法として買い替えが提案できる。必要が生まれたら必要な情報を提供する。

 

 【突き刺して広げる】

為末大さんが何かをはじめるときに物事を広める方法はふたつあるとラジオで話していた。「広く薄く広げる方法」と「狭く突き刺して広げる」方法。自分の仕事について言えば絶対に後者だ。営業は問題を解決する存在であるということを忘れてはいけないと思う。為末大さんの本は示唆に満ちていてすごい。

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自分はこの本の帯にもなっている「選ばれようとしていないか。選ばれる為に自分を捨てていないか」という言葉が大好きで手帳に書いて時折見返している。

人間は気をつけていないと選ばれようとしてしまう。空気を読むというのと自分を曲げるというのはちょっと違う、と小藪さんの言葉にもあった。

自分であり続けるために何をするかだよなということを最近よく考える。